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徳島家庭裁判所 昭和50年(家)299号 審判

申立人 武田茂(仮名)

相手方 武田和男(仮名) 外二名

主文

1  被相続人(亡)武田大介の遺産を次のとおり分割する。

(1)  別紙(略)目録(一)一~一三の遺産はすべて相手方武田秋子の単独取得とする。

(2)  相手方武田秋子は相手方武田和男、同鈴木康一に対し各金一、四七〇万三、六五二円を支払え。

(3)  相手方武田秋子は申立人武田茂に対し金八一〇万六、九七〇円を五回に分割し、昭和五二年一二月三一日限り金一六二万一、三九四円、昭和五三年一二月三一日限り金一六二万一、三九四円、昭和五四年一二月三一日限り金一六二万一、三九四円、昭和五五年一二月三一日限り金一六二万一、三九四円、昭和五六年一二月三一日限り金一六二万一、三九四円および各分割金に対する本審判確定の日の翌日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  本件手続費用中、鑑定人山田享に支給した鑑定費用金二〇万円は申立人武田茂と相手方武田秋子の平等負担とし、その余の費用はそれぞれ支出した当事者の負担とする。

理由

調査および審問の結果にもとづく当裁判所の事実認定および法律判断の要旨は以下のとおりである。

第1相続の開始

被相続人大介は生前農業に従事していたが、昭和三五年二月八日老衰のため死亡し、相続が開始した。被相続人の遺産につき相続権を有するものは長男武田和男(相手方)、二男鈴木康一(相手方)、四男武田茂(申立人)、養子武田秋子(相手方武田和男の長女)の四名であり、相続財産に対する法定相続分は各四分の一である。なお被相続人の妻ヤスヨは昭和三二年一〇月二一日、三男良夫は明治四四年五月一〇日死亡している。

第2分割協議の不調

茂は昭和四九年一月二四日その余の当事者との間に遺産分割協議が整わないとして当庁に遺産分割調停の申立をし(当庁同年(家イ)第二八号)、同年四月一一日から昭和五〇年四月一七日までの間前後九回にわたり調停委員会による調停がおこなわれたが、合意が成立するに至らず、調停は不成立となつた。

第3分割の対象となる遺産

1  本件遺産分割の対象となる被相続人の遺産は別紙(略)目録(一)の各不動産と認める。

2  別紙(略)目録(二)の土地は相続開始当時被相続人の遺産であつたが、昭和四三年六月一九日付で○○××田三九平方メートルのうち二二・五〇平方メートル、○○×××番△田三三平方メートルのうち二一・一五平方メートルが公衆用道路敷地のため○○町に買収され、買収金一万三、二一〇円は相手方秋子の夫武田光明が受取名義人になつている(○○町回答)。従つて買収対象外の部分は遺産であるが、非常に少面積のうえ、本件遺産を管理してきた相手方秋子すら同土地の場所を知らない状態であるから、利用価値および市場性は殆んどないものと認められ、各当事者も全く関心を示していないので、本件遺産分割の対象としない。また買収金は本件遺産の代替物であるが、金額が少額であり、支払および使用の状況も明らかでなく、本来法定相続分の割合によつて当然に分割される金銭債権であるから、本遺産分割の対象としない。

3  別紙(略)目録(三)の土地は相続開始後の昭和三六年六月三〇日被相続人から相手方秋子名義に相続による所有権移転登記されているが、後記第6認定のとおり、同目録の各土地本件遺産分割の対象から除外される。

第4各相続人の生活歴および紛争の経過

被相続人には四人の子供が生れたが、三男良夫は夭折し、被相続人は本籍地で農業を営んでいた。長男和男(相手方)は昭和一一年上阪し、○○○○の会社を始め、その後四男茂(申立人)も加わつて共同で経営し、戦時中は軍需関係と結託して生活面も豊かであつた。しかし終戦を契機に軍の援助と縁が切れ、業務内容を転換して○○工場を始めたが、素人の放漫経営もあずかり赤字累積が増えて倒産し、結局会社を他人に手離してしまつた。この時経営の赤字填充のため申立人茂は昭和二一年大阪の自宅を売却し、三〇万円を相手方和男に用立て、これと引換えに、和男は被相続人の後継者(旧民法の「家」の後継、すなわち家督相続に近い意義である)の地位を放棄し、これを茂に譲る趣旨の覚書が両者間に取り交された。この経過にもとづき、茂は家族を連れて本籍地の○○町に帰郷してきて、被相続人と一緒に生活をするようになつた。しかし、終戦直後の生活難および世相の混乱した時期という悪条件もあつたが、茂夫婦と被相続人夫婦はとかく折合が悪く、茂自身も都会生活が身につき、農耕に不向きであつたので、結局約三年の同居後、茂夫婦は被相続人夫婦と別居し、昭和二五年四月頃徳島市に転住することになつた。茂夫婦が別居した後、被相続人が老齢でもあつたので、相手方和男が農耕をするため昭和二八年一〇月頃までに被相続人の許に帰り、同居するようになつたが、前記のとおり和男は被相続人の財産を当にしないという宣明があつたため、帰郷に先立ち、和男の上阪中被相続人夫婦に養育されてきた和男の長女秋子(相手方)を急拠武田家の承継者にすることが決められ、被相続人夫婦は昭和二五年九月二六日秋子(当時一四歳)と養子縁組をした。爾来、秋子は被相続人と同一生計を営み、昭和二七年七月には高校を中退して竹村光明と妻の氏を称する婚姻をし、名実ともに被相続人の遺産の承継者として農耕と果樹栽培に従事し、遺産を維持、管理してきた。和男は昭和二六年一二月妻と死別し、以後長女秋子夫婦を手伝つて最近まで農業に従事してきた。二男鈴木康一は昭和一二年徳島県○○郡○○町の鈴木家の婿養子に迎えられて、同家の長女正子と婚姻し、以来被相続人とは殆んど往来がなく、養家で最近まで農耕に従事してきた。茂は徳島市○○町×丁目(土地区画整理により現在同市○○町△丁目)の現住所で○○○○○業を経営してきた。そして被相続人が昭和三五年二月八日死亡し、全員が出席して葬儀およびその後の周忌法要をおこない、被相続人の遺言はなかつたが、祭祀承継者の秋子がなんの疑いもなく遺産を完全に支配して農耕、果樹栽培に汗をつぎ込み、平穏に年月が経過した。ところが、被相続人の死後約一三年を経過した昭和四八年一月頃相手方和男が遺産の一部を売却するため(申立人茂の陳述するところによれば被相続人のための地役権設定登記の抹消登記のため)申立人茂に対し承諾の印を押してくれと言つたところ、和男の説明があいまいなので、茂はその時すぐに承諾しなかつた事実が起り、このことで互に感情的になり、また当時茂は商売も不振であつたので、生活の余裕を得るため、突然和男、秋子らに対し法定相続分どおりの遺産分割を要求し、他方和男、秋子は今頃になつて分割請求してくるのはひど過ぎると反撥して本件紛争が始まつた。主たる対立当事者は申立人茂対相手方和男、秋子であるが、遠因は戦時中にさかのぼり、大阪時代の軍需工場の共同経営が失敗した経緯にまで及び(茂は和男の工場経営が放漫であつたから、赤字累積が増え営業に失敗したとして、その責任を一方的に和男に求めているのに対し、和男は共同責任であると反撥している)、茂には本来自分が被相続人の遺産を承継していく約束であつたとの気持が強く、対立感情は不信に満ちて根深いものがある。

第5特別受益

当事者のうち被相続人から生前贈与を受けた者の有無およびこの贈与が民法九〇三条に定める生計の資本としての特別受益に該当するか否かの判断は次のとおりである。

(1)  申立人茂は被相続人と別居して徳島に自宅を構えるに際し、昭和二四年頃小山弘司より徳島市○○町×丁目××番×宅地一七七・七五平方メートル(昭和五〇年七月一日土地区画整理法の換地処分による換地により同市○○町△丁目△△番△宅地一二八・六九平方メートル)の五、三七七分の二、八〇〇の持分、同所××番×宅地四二・七七平方メートル(前同同市○○町△丁目△△番△宅地三〇・九七平方メートル)の一、二九四分の六五六の持分を買い受け、昭和二八年二月二五日持分所有権移転登記をし、同土地上に徳島市○○町△丁目△△番地△、家屋番号二〇番一、木造瓦茸二階建居宅床面積一階四一・三二平方メートル、二階三八・八四平方メートル、附属建物(1)木造瓦茸平家建炊事場床面積九・九一平方メートル、(2)木造瓦茸平家建便所床面積二・四七平方メートルの自宅を所有している。茂は上記自宅の敷地を取得した際被相続人から購入費用として金五万円の贈与を受けて、自ら所有者と売買契約を結び、また同土地上の自宅は当時被相続人所有の別紙(略)目録(一)2〈4〉の木造瓦茸二階建居宅を取り壊して、翌昭和二五年頃その建築材を徳島市に運び、これを使用して建築されており、被相続人が茂に同木材を贈与したものである。申立人茂は上記金員は被相続人の土地で約二年間藍を栽培して、その収穫を全部被相続人に渡し、その後四年間被相続人の農耕を手伝つたので、これにより返済されたと思つていると述べているけれども、他にこれを裏付けるに足る資料がないうえ、茂の供述もかなりあいまいであり、この金員は申立人茂に自宅の敷地を取得させるための贈与と認めるのが自然である。従つて申立人茂は被相続人から昭和二四年に現金五万円、昭和二五年に前記木材をそれぞれ生計の資として生前贈与を受けたもので、これは特別受益に該当すると解せられる。そして相続人が被相続人から贈与された金銭を特別受益として具体的相続分算定の基礎となる相続財産の価額に加える場合には贈与の時の金額を相続開始の時の貨幣価値に換算した価額をもつて評価すべきであるところ(最高裁昭和五一年三月一八日判決民集三〇巻二号一一一頁)、申立人が被相続人から上記金員を生前贈与された昭和二四年と相続開始時の昭和三五年とでは消費者物価指数において三七・九%の増加があることは公知の事実(総理府統計局消費者物価接続指数総覧参照)であるので、申立人茂の受贈金五万円を上記倍率により相続開始時の貨幣価値に換算すると金六万八、九三七円となる。また上記木材を組成していた別紙(略)目録(一)2〈4〉の建物は明治八年頃の建築で、約二〇坪相当の家屋木材が上記自宅の基をなしているが、相続開始当時耐用年数を経過しているともみられ、当時の評価の方法について困難を伴うが、同時期に建築された別紙(略)目録(一)2〈1〉の家屋に対する鑑定人山田享の鑑定結果(一平方メートル当り残存価格四、五〇〇円)を類推適用し、上記木材の相続開始当時の価額を金二九万七、〇〇〇円と算定する。

(2)  申立人茂以外の相続人中には特別受益者に該当する者はいない。

第6遺産の一部分割

(1)  相続開始当時別紙(略)目録(三)の土地は被相続人の遺産として登記されていたが、被相続人は生存中株式会社○○○○銀行を根抵当権者、被相続人を債務者、相互掛金等契約を原因として昭和三三年二月二六日付別紙(略)目録(三)1~3、5、6、昭和三四年六月一三日付同目録7、同年一二月二五日付同目録4の各土地にそれぞれ極度額金三〇万円の根抵当権を設定し、同登記を経由して同銀行から農地維持助成資金の融資を受け、相続開始当時、同銀行に約金八〇万円の負債があつた。そして被相続人が死亡したため銀行側は被相続人名義の不動産のうち該根抵当権設定のなされているものに限つて相続人の一人の名義に変更するよう相手方和男に要請し、和男は娘秋子と相談した結果銀行側の要請通り事実上該土地を使用管理していた秋子名義に相続を原因とする所有権移転登記をすることに決め、その頃茂、康一に相談し、その了承を得て、秋子以外の相続人は遺産に具体的相続分ないことの証明書に押印し、これに印鑑証明書を添付して秋子に交付したので、これにもとづき、別紙(略)目録(三)の各土地は昭和三六年六月三〇日付で秋子に相続による所有権取得の登記がなされた。その後秋子は自力で被相続人の前記債務を完済し、上記根抵当権設定登記は昭和三八年六月二七日すべて抹消登記された。申立人茂は当時和男から秋子名義で同銀行から借入をするので印鑑を貸与したことがあるにすぎず、秋子の単独相続については関知していないと供述するけれども、当時秋子に銀行借入の事実は存せず、信用しがたい。

(2)  上記によれば、別紙(略)目録(三)の土地については相続開始後に秋子において○○○○銀行に対する債務の整理上単独取得し、その他の相続人は何らの権利を取得しないという趣旨の分割、すなわち遺産の一部についての一部分割の協議が成立したとみることができ、法文上の規定はないが、このような遺産の一部分割も有効である。また、本件一部分割をする際に、共同相続人間には、一部分割された別紙(略)目録(三)の土地を残余遺産から独立させて秋子に取得させ、秋子において借金を完済するとともに、将来遺産分割をおこなうにしてもその場合には該土地を除く残余遺産についてのみ法定相続分に従つて分割をすることで足りる旨の黙示の合意がなされたと認められるので、前述のとおり別紙(略)目録(三)の土地は本件遺産分割の対象から除外される。

第7相続人の寄与分

(1)  相手方らは、秋子は被相続人と養子縁組までして事実上被相続人の承継者としてこれまで農耕と果樹栽培に汗をつぎ込んできたのであるから、遺産の維持に貢献してきた実績を認め、法定相続分に寄与分を加え、秋子の相続分を他の相続人より増やすべきことを主張している。相続人の相続分は法定されている遺言による場合を除き変更できないと解されるが、共同相続人中遺産の維持形成について他の相続人に比較して顕著な協力貢献をなし、その程度が身分関係にもとづく通常の協力の程度をこえるときは法定相続分とは別に、その程度に応じ、寄与の結果が遺産中に潜在するものとして、遺産分割に際し、その清算を求め得るものと解するのが、公平正義の理念にかない、かつ逆の場合である特別受益の持戻を定めた民法の趣旨に添うゆえんである。

(2)  本件において、前述の如く被相続人はその生涯の就労期間中農業者として過ごしたが、昭和二五年当時には七〇歳近い老齢で農耕も十分にできず、息子三人は皆他出していたため、農業収益も十分ではなかつた。秋子は同年被相続人との養子縁組により周囲から被相続人の後継者となることを当然視されるとともに、被相続人に代つて農業に従事するため、昭和二七年高校を中退してまでいわゆる婿養子婚姻をし、以後は文字通り農業経営(稲作と果樹栽培)の支柱となり、苦心惨たんして利益の向上に努力して、実績をあげ、幼時から被相続人と同居し、被相続人の晩年はよく面倒をみて孝養を尽した。また秋子は被相続人が死亡当時銀行、農協に負担していた借入債務(元金一四〇万円と金利)について相続開始後すべて自力で弁済した(本来遺産の維持に対する寄与は被相続人の生存中のものに限られる。従つて秋子が相続開始後に遺産を管理してきた事実は寄与分として考慮できない。しかし被相続人が生存中既に負担していた債務の如きものについては、その弁済が死後になされた場合にも、遺産の維持に対する寄与として斟酌するのが相当である)。これによれば、秋子が遺産の維持に貢献してきたものであることは否定できない事実であり、被相続人から相当の扶養を受け、早くから他出して独立し、あるいは被相続人の農業経営に全く協力していないか、または短期間の手伝程度の寄与しかしていない他の相続人との間には極めて大きな差異が存する。この場合遺産を平等に分配することになれば実質的に甚しい不平等を招来することになるから、秋子について上記寄与に相当するものを上積みして評価すべきものである。また相手方和男も農業経営に協力してきたことが認められるが、前記(1)の基準による寄与分を認めるに足りるほどの証拠がない。

(3)  そこで寄与の程度について考えると、秋子は被相続人に代り農業に専従したとはいえ、相続開始時までの期間は八年に満たず、この間被相続人の財産に特段の増加があつたとは認められず、かえつて秋子は別紙(略)目録(三)の土地を本遺産分割の対象外として単独取得し、この土地は農地としての立地条件に優れ、価値も高く、また秋子が被相続人と同一生計のもとに農業収益の中から自己および家族の生活費を支弁してきた点を考慮しなければならない。従つて、本件遺産の維持管理に対する秋子の貢献については上記一部分割をもつてすでに相応の報いがなされているとまでは一概に認めがたいが、反面秋子が他の相続人と比較して被相続人のために専ら犠牲を強いられた無駄働きというほどのものでもないから、これら諸般の事情を斟酌して、さらに遺産から秋子のために清算されるべき寄与分の割合は十分多く見積もつて二〇%と認めるのが相当である。

第8遺産の評価額

(1)  本件遺産分割の対象となる別紙(略)目録(一)の不動産の相続開始時および審判時に近接する昭和五二年四月一日現在の価額は鑑定人山田享の鑑定結果にもとづき(2)のとおりと認定する。

(2)

別紙目録(一)の不動産の番号

相続開始当時の価額(円)

分割時の価額(円)

一二四万三、六七一

三、二〇五万二、七九三

一五三万九、〇〇〇

二五三万一、〇〇〇

3(賃借権付評価)

一〇万二、六三二

三八七万九、〇三六

一三万〇、五〇〇

四九二万二、九〇〇

5(賃借権付評価)

五万〇、六四五

一八六万一、二〇三

一二万四、一一〇

四四六万七、九六〇

九万三、六六〇

三三七万一、七六〇

一四万三、二二〇

五一九万四、九八〇

五、九四〇

二一万八、二九五

10

一〇万六、九九〇

三八八万八、六七五

11

六万一、八八〇

二二四万九、一〇〇

12

二、四八〇

八万四、六三〇

13

一万六、一二〇

五五万〇、〇九五

(合計)

(三六二万〇、八四八)

(六、五二七万二、四二七)

第9各相続人の具体的取得分

各相続人の現実の相続分は次のとおり算定される。

1  民法九〇三条一項のみなし相続財産価額

(1)  相続開始当時の遺産価額

前記第8において認定した各評価額の合計金三六二万〇、八四八円であるが、これから秋子の寄与分二〇%に相当する金七二万四、一七〇円を控除すると金二八九万六、六七八円となる。

(2)  特別受益額

前記第5において認定した申立人茂の生前贈与分についての評価額金三六万五、九三七円である。

(3)  みなし相続財産価額

(1)(2)の合計金三二六万二、六一五円となる。

2  民法九〇三条一項による当事者各自の本来の相続分(円)

武田茂326万2,615×1/4 ≒ 81万5,654

武田和男326万2,615×1/4 ≒ 81万5,654

鈴木康一326万2,615×1/4 ≒ 81万5,654

武田秋子326万2,615×1/4 ≒ 81万5,654

3  特別受益および寄与分があることによる具体的相続分の算定(円)

武田茂81万5,654-36万5,937 = 44万9,717

武田秋子81万5,654+72万4,170 = 153万9,824

その他の相続人の具体的相続分は上記2の価額

4  各相続人の現実の取得分(円)

本件遺産の現在価額六、五二七万二、四二七円に上記3の具体的相続分の各比率により按分して算定される。

武田茂6,527万2,427×449,717/3,620,849 ≒ 810万6,970

武田和男6,527万2,427×815,654/3,620,849 ≒ 1,470万3,652

鈴木康一6,527万2,427×815,654/3,620,849 ≒ 1,470万3,652

武田秋子6,527万2,427×1,539,824/3,620,849 ≒ 2,775万8,143

従つて本件遺産の分割は各自の上記現実の取得額に比例したものでなければならない。

第10遺産の分割

(1)  本件各当事者の生活史は前記第4に認定のとおりである。

(2)  各当事者の現在の生活状況

申立人茂は現在も夫婦で○○商を営み、子供が二人あるがいずれも独立して家を出ている。営業は最近売行きが落ち、余り順調とはいえないようであるが、自宅兼店舗の場所は徳島駅近くの一等地で高価額であり、茂がここに転住して既に二七年を経過している。資産は自宅兼店舗と敷地のみであるが、生活程度としては普通と思われる。相手方和男は妻と死別後被相続人および長女秋子らと同居し、秋子に婿を貰い、孫もできて、現在六人家族である。農耕と果樹の手入れは専ら秋子夫婦に託し、和男は忙しい時期に手伝う程度で、自己名義の資産はなく、むしろ適当に余暇を過ごし、秋子夫婦に扶養されている状態で、将来もこのまま推移すると予測される。相手方康一は養家で専ら野菜栽培と農耕に従事してきている。然し最近は長男夫婦が働いているので、どちらかというと、楽穏居の身である。秋子は前述のとおり現在まで被相続人の承継者としてなんの疑いもなく夫とともに農業に従事し、主に果樹栽培に汗をつぎ込んできたもので、夫との間に二男一女があり、自己名義の別紙(略)目録(三)の優良な耕地も所有して生活の安定度は高い。

(3)  遺産の管理および利用状況

本件遺産は別紙(略)目録(一)3、5、12、13を除き全部相手方秋子において管理している。3は田辺治夫、5は本田洋一に戦前から小作させており、近い将来にこの賃貸借契約が解消される見通しはない。12、13はため池で、12の付近は宅地に造成されつつあるが、田が最有効の用途である。然し現況では利用価値に乏しく、事実上放置されている。本件遺産の存する周辺地区は農家集落を中心に一帯に優良な耕地の広がる田園地帯で、道路交通事情に恵まれ耕作に至便であるほか、居住環境にも恵まれて一部には宅地化の傾向がみられるが、概して保守的な土地柄である。このような周辺土地利用の状況と地域的特性を背景として、秋子は上記管理中の遺産のうち別紙(略)目録(一)4を水田、6~8、10、11を梨畑、9を西瓜畑に利用中で、最近は水田を埋め立てて梨畑にするなど果樹栽培に力をそそいでいる。これらの土地は秋子および和男の自宅として使用中の同目録2の建物を中心に別紙(略)目録(三)の秋子名義の農地(同目録2、6の土地は相続開始後の昭和四七年七月二五日○○町に買収による所有権移転登記がなされている)と混在して集合し、遺産である別紙(略)目録(一)9と秋子名義の別紙(略)目録(三)1、3、同別紙(略)目録(一)10、11と同別紙(略)目録(三)5は集合画地を形成している実際上の一枚農地である。現在遺産である農地はいずれも最有効の用途に利用されており、いずれも農業振興地域に指定されている。

(4)  遺産分割方法に対する各当事者の主張

本件調停手続において申立人茂は現物分割を希望し、相手方和男、秋子は債務負担(金銭補償)による分割を主張して強硬に対立した。茂は当初(1)別紙(略)目録(一)3、4(2)同目録4、6~9(3)同目録4、6、7の順序で現物分割案を提示したが、最終的に同目録4、5、10、11および別紙(略)目録(三)5の取得を希望し、和男、秋子は金五五〇万円の金銭支払を提示して互に譲らなかつた。茂は現物分割を希望する理由として現在の○○商が先行き見通しがないので、土地の分割を得て自宅を建て農業に従事したいと供述しているが、和男らはこの供述を全く信用せず、その根拠として茂が調停期日に土地売買の仲介業者を同道してきていたことを挙げ、現物分割をしても茂は早晩これを他に売却すると主張した、これに対し茂は自分が連れてきたのではなく、調停のことを話したら勝手について来ただけと弁解しているが、この弁解では和男らに対する説得力に欠け、和男らが先祖以来の土地を他に売却されてはと疑心をいだいても無理からぬところである。茂としては相続開始後約一四年間も秋子が苦労して本件遺産を維持管理している実態を見てきているのであるから、いかに遺産分割が今日まで未了の状態にあつたとはいえ、茂に対し当然に現物分割を与えるのは公平を欠くものであり、現物分割が相当と認められるためにはそれなりの深刻な事由が提示されねばならない。少くとも、茂が経営不振等から徳島市内の資産を売却せざるを得ない事情が存し、かつ債務整理後の残存資金で本件遺産中の宅地転用見込地を造成し、ここに自宅を建てて、該地を生活の本拠とする新たな生活手段を獲得できるはつきりとした見通しが必要であろう。本件証拠資料による限りでは、この点が甚しく不明確であるし、既に六〇歳を超えた茂が今更農業経営をやつていけるかに疑問が残る。他方秋子側にも本件遺産中から簡単に手離すことのでき、かつ茂の希望に添うような土地は容易に見い出しがたい。相手方康一は遺産の取得を特に希望しておらず、むしろ秋子に譲る意向である。

(5)  当裁判所の定める分割方法

前記のとおりの本件遺産の現況、地形、管理状況、各当事者の生活歴および現在の生活状況、遺産分割方法に対する希望その他被相続人の遺志をそん度するなど一切の事情を斟酌すると、本件遺産についてはこれを各相続人に現物で分割するのは相当でなく、これを次の分割基準および方法により遺産分割するのが最も適正かつ公平であると判断する。

1  別紙(略)目録(一)1~13の遺産は全部相手方秋子に単独取得させる。

2  相手方秋子以外の相続人については前記現実の相続分との差額につき債務負担の方法により、相手方秋子に遺産分割調整金の支払を命じる。この結果相手方秋子は申立人茂に対し金八一〇万六、九七〇円、相手方和男、康一に対し各金一、四七〇万三、六五二円を支払わなければならない。

3  本件遺産分割調整金については、各相続人の個別事情、資力、金額、取得意思および本件遺産分割紛争の経過等を考慮して、申立人茂に対する支払に限り、その支払を五年間の分割とすることとし、かつ本審判確定の日の翌日から完済に至るまでの間民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を附加支払させるものとする。

第11結語

以上の次第であるから、被相続人武田大介の遺産分割につき主文第1項(1)のとおり定め、家事審判規則一〇九条を適用して債務負担の方法により主文第一項(2)(3)のとおり相手方秋子に金額の支払を命じ、手続費用の負担につき家事審判法七条、非訟事件手続法二七条を適用して主文第二項のとおりその負担を定める。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 藤田清臣)

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